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宮崎県綾町の養蚕・天然灰汁発酵建てによる藍染めと紬・絣織の着物づくりを行う染織工房で働いております。

博士号を取得したい。3つのこだわり。

「博士号を取りたい」
 
学部を卒業する時から密かに思い続けていたこと。
 
最近周りで「ハイブリッド」な方達を目にするようになり、
「自分だったら何とのハイブリッドだろう」と考えたところ
 
「学者×職人」が良いなと。腑に落ちたわけで。
 
それならやっぱ博士だなと。
その方が将来的に公的な方とのお付き合いで優位になりそうだし。←
 
 
じゃあ何故博士号を取りたいのか。
 
大きく分けて3つ。何なら3種類テーマがある。
 
 
① ”藍染め”をChemical (化学) ではなく
  Science (科学) としての面白さを。
 
現在ジーンズが大量生産されているように藍染め・インディゴ染めというのは
発色の原理は解明されているので、化学薬品を用いて工業的に大量生産が可能。
その一方で天然の草木を用いる藍染めは世界各国に存在し、
またその種類や技法も異なる。natural indigo もひとつじゃない。
 
故に藍染めを知らない人は化学薬品云々ではなく
ただ単に「藍染め」というものとして、ひとくくりに受け入れる。
 
一方で現場側、特にうちみたいに化学薬品を一切使わず成り立たせている人は
「うちはChemicalじゃない=ホンモノニセモノ論」というように
両極端に分かれていて、乖離が大きい。
 
それに加えて歴史ある工房が看板に偽りがあったり
ヘンに「伝統の」とかをつけて垣根を作ってることも多い。
まあ間違ってはないんだけど。それではいつまでも距離感が縮まらないと思う。
 
その乖離をなくしたいなーっていうのはずーっと思っていて。
 
自分の中での解決策は「Science (科学) 」だと。
 
特にうちみたいな微生物の発酵原理を用いる”天然灰汁発酵建て”の藍だと主に2つ。
 
・個体群動態
・微生物の発酵原理
 
 
それ以外にもいっぱいテーマとなり得るものはあるのだけれど、
個人的にはこの2つだけでも奥が深すぎて充分すぎる。
うちの20個以上の藍を研究サンプルとして用いれば藍の色味にどの成分や菌が関係しているのか、段階的に解明することができるのではと感じているところ。
研究素材としてのポテンシャルは非常に高いはず。
 
高卒レベルの化学と生物の知識しか持ってなくてこんだけ楽しいから
 
間違いないだろうと。
 
 
 
 
② SECIモデルを1次産業面で体現したい
 
大学3年の秋、一冊の本と出会った。
−知識創造企業−
ざっくり言うとナレッジマネジメントに関しての本。
その中にSECIモデルというものがあって。
暗黙知形式知のサイクルが衝撃で。
農村の地域づくりにおける「研究と現場をつなぐ理論として最適だ」と。
 
僕は大学で「内発的発展と”場”のマネジメントに関する研究」という題で
獣害対策を契機に地域のおばちゃまたちが精神的な面での地域づくりに貢献している事例を分析した。
この”場”のマネジメント伊丹さんのを用いているけれど
SECIモデルが根底にある。
 
暗黙知形式知のサイクルは
地域で課題に向き合う現場の人々の試行錯誤とぴったりだと。
今でもそれには確信を持っている。
 
自分自身、誰よりもどこよりも美しい藍色を生み出す環境を整えるために、
また衰退している産業に対して結果を出すために
どうすればいいか、何が適切か自問自答する日々で。
現場で小さな失敗を繰り返しつつ、家で調べたり関係性を探ったり。
 
主に専門的な分野に従事し、なおかつ個人や家族で現場で向き合う人々は
PDCAよりもSECIの方が身近な気がしてる。
 
 
これは学部生時代の研究の延長線上にあるような気もするけど
「農村地域の課題解決の手法(時系列変化)としてのSECIモデルの実施を提唱する」ことは論文として可能じゃないかと。
 
事例はお世話になった島根県美郷町のイノシシ被害対策でやりたいのが本当のところ。
今度は1ヶ月じゃなく1年滞在したい。
 
 
③ 現場の人こそ研究者として箔を持つべき。
 
働きながら考えていると、どうしても農家さんだったり手仕事さんはよっぽど有名にならない限り、また表面的にそうなったとしても物流の中で一般的に立場が優位になれない。
流れは少しずつ変わっているけれど、
基本的にはまだまだ問屋さんや小売やさんだったり、販売する人たちが主導権を握っているので川上の生産者は頭が上がらない。
ファクトリエさんとか中川さんとかは現場のちょっと上で物流を省略することにより比率を変えてる側。
でも自分はもう少し下の体制を変えていきたい。
 
これから学歴社会は必要ないとしても、
最先端の技術研究者でない限りは、現場の人の知識と経験というのは
研究者にとってものすごくありがたい材料なはず。
それならその人たちがしっかり評価されるべきだと。
 
 
だとするならば農家さんが博士号持ってたり、手仕事さんが博士号持ってたら良いのではないかと。
手仕事だからこそそんな時間がないならば、共同研究の環境を提供するなどして、研究者と共同で双方に有意義な成果を導く方が良いと思う。
 
で、いくら博士号を持っていたとしても物流の面では優位になれない。
でも人と人、メディアの関係上物流の課題を飛び越せて直接的な関係を導ける可能性はある。
 
 
 
そんな感じで川上の立場を変えていけるような、そんな事例になれるんじゃないかと。
 
というか、単純に研究やりたいだけなんだけれど
やるんだったら面白くやりたい。
 
ということで、今後博士号の取得に向けた取り組みは小さく始めていきたいなと思います。目の前のことが勉強しがいがありすぎていつになるやらわからんですが。
 
まずは修士からかなぁ。飛越せんかなぁ。
 

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おしまい。